花神(上) 司馬遼太郎
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周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者・大村益次郎の波瀾の生涯を描く。 長州藩周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者・大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。 動乱への胎動をはじめた時世に、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積み塾頭まで進んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。 【著者の言葉】 村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物をどう書けばよいのか、執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。 「いったい、村田蔵六というのは人間なのか」 と、考えこんだこともある。 しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。(下巻「あとがき」)


☆幕末に関しては興味を持っているが、大村益次郎についてはほとんど知識がなかった。今巻では、蘭学の医師であった村田蔵六が、その語学力を買われて、軍艦や砲台の製造を任され、兵学者として長州藩へ取り立てられるまでが描かれている。ここまででも、十分波乱の人生と言えるが、関わった人たちとの奇矯なエピソードが、彼の特異な人物像を示して、極めて興味深かった。
 例えば、蘭学を学んだ緒方洪庵の適塾繋がりで、やはり秀才だった福沢諭吉との違いが面白かった。国に対する拘りを持たない福沢に対して、蔵六は故郷に対する思いから、待遇が悪くても、あえて故郷である長州藩に身を投じているのだ。彼の体質が、いわゆる尊皇攘夷の志士達との交流はなかったのに、彼を討幕軍の司令官へと導いたのであろう。
 そして、何といっても、シーボルトの娘イネとの、道ならぬ恋模様が、面白かった。絶対に間違いを犯さぬよう距離を置こうと苦心する蔵六が、それでも彼女を抱いてしまい……蔵六は妻帯者であるからけしからぬ、と現代の目で非難は出来ない。実際蔵六は恐ろしくストイックなのだ。女性に惚れられる事を、極端に恐れて忌避するエピソードは、彼の常ならぬ人物像を示していたと思う。
 村田蔵六と言う特異な人物を、奇矯なエピソードで丁寧に紹介してくれた巻であった。今後に大いに期待している。
 
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