水滸伝 9 嵐翠の章 北方謙三
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死んだはずの妻、張藍(ちょうらん)が生きている。その報を受けた林冲(りんちゅう)は、勝利を目前にしながら戦を放棄し、ひとり救出へと向かう。一方、呉用(ごよう)は攻守の要として、梁山泊の南西に「流花寨(りゅうかさい)」を建設すると決断した。しかし、新寨に三万の禁軍が迫る。周囲の反対を押し切って、晁蓋(ちょうがい)自らが迎撃に向かうが、禁軍の進攻には青蓮寺(せいれんじ)の巧みな戦略がこめられていた。北方水滸、激震の第九巻。


☆大きな戦いこそ起こらないが、梁山泊側・官軍側双方の思惑が描かれるのが興味深い。そして、とりわけ女のためにバかになる男の感情にスポットが当てられていて面白い。例えば林沖。死んだ筈の愛妻が生きていると言うデマに踊らされて戦線を離脱して救出に向かい、軍法会議に掛けられる。彼に同情的な意見が座を占める中、謎のカリスマリーダー宋江だけは原則通り死罪を主張する。これは何の取り柄もない宋江の見せ場を作ったもの、とは穿ち過ぎた読み方だろうか。それはともかく、ほとんど神のような強さを見せる林沖が好きな女のためにバカになれるのが、人間的で魅力を感じる。
 かと思えば、楊志の遺児楊令を母親代わりで養育している公淑を想い、周囲に押し切られて結婚に踏み切った秦明の妻に先立たれた中年男の恋を傍観していた宋江が、実は、と自分も公淑が好きだったと明かす。あるいは美人過ぎる女戦士扈三娘のエピソードも面白い。敵味方問わず男は悩殺されて平常心を失うのがおかしい。
 そして最後に男女関係ではないが、超人的な努力で自分を救い命を落とした鄧飛に掛けた柴進の言葉の軽さに憎悪を抱く揚林のエピソードも、いかにも人間臭い話だ。
 このように、人間同士の恋愛などの感情を細かく描いた今巻はl北方水滸伝ではやや異色だが面白い内容だったと思う。志のために命懸けで戦い亡んでいく梁山泊の男達も冷酷非情に思える官軍側もみんな人間らしい感情を持っているのだ。


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