さよなら、愛しい人 レイモンド・チャンドラー
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刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが…。マロイの一途な愛は成就するのか?村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長篇。『さらば、愛しき女よ』改題。


☆村上春樹新訳のチャンドラーは4冊目だが、この作品は確実に読んだことがあるので再読だ。とりあえず登場人物の名前で思い出したんだけど、細部はまるで覚えていなかったのもいつも通り。タイトルも「さらば、愛しき人よ」と言う名訳だったはずだが、新訳である事を示すためこんな平凡なものになっちゃったんだろう。これは村上春樹に同情。
 物語の最重要人物「ヘラ鹿マロイ」も「大鹿マロイ」だったはずで、日本人はヘラ鹿なんて知りませんから。巨大なシカで、車と衝突しても平気。その事故で年間何百人も死者を出すらしく、転じて巨漢のニックネームによく使われると言うが・・・調べなきゃわからんのはどうだろう? それはともあれ、巨体でその気はないのに人を殺してしまうほどの怪力の持ち主マロイが刑務所から帰って来て、愛する女性を探し求めて暴れる所に居合わせたフィリップ・マーロウ、と言う出だし。マロイは力余って人を殺してしまうのだが、どこかへ隠れて捕まらない。結局ストーリーの終盤まで登場しないが、愛する女性に対する純情を貫きながら壮絶な最期を迎える彼が、ほとんど出番がないのに凄い存在感。年下男を手玉に取る絶世の美女として描かれるその悪女も魅力的だけど、チャンドラーの描く女性は類型的でさほど印象には残らない。反対に男は端役に至るまでことごとく個性的で、例えば色男だけどアッサリ殺されるジゴロとか、悪臭を放つボディーガードのインディアンとか、どの男もとても印象に残る。
 さて肝心のマーロウだが、「長いお別れ」の渋い中年男の印象が強かったので本書の彼は意外なほどに若くて無鉄砲。実際5回くらい殺されててもおかしくないハードボイルドさで、ブラックジャックで殴られて昏倒し、気が付いたら怪しい病院に監禁されて麻薬漬けにされ、最後は明らかにヤバイとわかってる賭博船に一人で乗り込んでいくと言う・・・
 今作のマドンナ役の若い女性宅に命からがら逃げ込み、まだ体調が万全でないからしばらく泊まっていけとお誘いまで受けながら、フラフラの状態で出て行き彼女の機嫌を損ねてしまうマーロウ。めちゃくちゃ格好良いんだけど完璧なバカだな(笑)
 文章に凝りまくるチャンドラーを忠実に訳した村上訳で読むのに2日掛かってしまったけど、マーロウを初めタフで純情で愚かな男達のストーリーを堪能した。一応ミステリーっぽいトリックもあるんだけど、チャンドラーの得意技なので又か、と言う感じ。まあ、そんなのどうでもいい。いくら騙されても愛する女に対する純情を貫き通して惨殺された大鹿マロイの愚かな男のロマンに乾杯。


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