翔ぶが如く (8) 司馬遼太郎
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明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍する。西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。迎える熊本鎮台司令長官谷干城は篭城を決意、援軍到着を待った。戦闘は開始された。「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦など存在しなかった。圧倒的な士気で城を攻めたてた。


☆西郷隆盛を首魁に抱いた薩摩の反乱軍が進軍を開始。だが簡単に一蹴する筈だった熊本城で徹底的に籠城策に出た鎮台兵に手こずり、得意の野戦に持ち込もうと方針を転換するも、弱い筈の敵に空中戦を制されて敗走する、と言う予想だにしなかった事態に陥った巻。双方のグダグダぶりが際立って情けないが、これが現実の戦争か。後に軍神とまで祭り上げられた乃木将軍も臨機応変な対応が出来ず、熊本城に入城せよと言う命令を愚直に守って敗走を重ね、連隊旗を奪われて自害を試みるダメっぷり。弱い政府軍の象徴みたいになってしまった。一方反乱軍も西郷隆盛のカリスマ性と日本一と自負する自軍の戦闘力の高さへの過信から、戦略を全く欠き初めから誤算を重ねる。加藤清正の亡霊に祟られたような熊本城の悪夢から野戦に転じた後、桐野や篠原が戦闘力は高くても指揮官として疑問である事を露呈。露悪的にも思える司馬遼太郎の描写が、西郷隆盛を初めとしたカリスマ軍人を貶めているようだが、近代に入った現実の戦争では英雄など存在しないのだと示していると感じた。
 司馬遼太郎の頭には、後の太平洋戦争で全く戦略を失い破滅へと暴走した日本軍に従軍した苦い経験があるに違いない。勝機十分だった筈の反乱軍西郷隆盛の姿に後の日本軍の運命を重ねずにはいられなかったのだ。


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