世に棲む日日 (一)司馬遼太郎
993b1a69


時は幕末。嘉永六(1853)年、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。
長州萩・松本村の下級武士の子として生まれた吉田松陰は、浦賀に来航した米国軍艦で密航を企て罪人に。生死を越えた透明な境地の中で、自らの尊王攘夷思想を純化させていく。その思想は、彼が開いた私塾・松下村塾に通う一人の男へと引き継がれていく。松陰の思想を電光石火の行動へと昇華させた男の名は、高杉晋作。身分制度を超えた新しい軍隊・奇兵隊を組織。長州藩を狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動に駆り立てていくのだった……
骨肉の抗争をへて、倒幕へと暴走した長州藩の原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の青春群像を鮮やかに描き出す長篇小説全四冊。
吉川英治文学賞受賞作。



☆奇人変人ひしめく幕末でも横綱級の変な人吉田松陰の生い立ちから半生を描いているが、長州の田舎で松下村塾を主宰した思想家と言う静かなイメージと大違いで、日本全国を歩き回るに飽き足らず、脱藩してまで奥州に旅したり、外国船に密航して海外を目指したりする無鉄砲な活動家ぶりが面白かった。幼くして藩の兵法師範の座が約束されており、藩が差し向ける教育係による英才教育で純粋培養された松陰。幼少時から秀才で若くして藩主の前で史書の講義を行うほどだったが、その頭の良さといつまでも子供っぽさが抜けない人間性とのアンバランスが凄まじく、こんな変人が活躍したのはほとんど奇跡的だ。本書でも書かれているが、関わった人間はメチャクチャ迷惑したに違いない困った男なのである。だが本人は恐ろしく真面目だし、又相手が誰であっても実に穏やかに人当たりよく接するので憎めない、と言うホント大物だ。
 ほとんどネタかと思われるような史実とも思えないエピソードがいっぱいの松陰だが、18禁の当ブログとしては彼の尋常でない禁欲に触れないわけにはいかない。この巻ではいまだ童貞の松陰だが、イマドキのモテない童貞とは違う。何しろ長州藩の期待を担い英才教育を施された侍なのだから、機会はいくらでもあったのに自分から女性を遠ざけるのである。その理由が凄い。
 要するに人間には精気というものがある。ひとそれぞれに精気の量は決まっている。松陰によればよろしくこの精気なるものは抑圧すべきである。抑圧すればやがて溢出する力が大きく、、ついに人間、狂にいたる、松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。それが、おのれの欲望を解放することによって固有の気が衰え、ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。自分は本来愚鈍である。しかしながら非常の人になりたい、非常の人とは、狂夫である、何人でも狂夫になり得ると思う、欲望さえおさえれば、だが。と、松陰はいった。

 松陰のこの考えからすると自慰行為で射精するのも駄目だ。が、それによって「狂夫」になる、と言うのは理解出来るな。いわゆる「賢人」モードに入っちゃいけないのだ。松陰はこの自らに課した禁欲をかたくなに守るが、何度も訪れた童貞喪失の危機場面が笑える。ある時は「接待せよ」と命じられた女がまるでその気を見せない松陰に焦れ、母親の威厳を持ってじっとしていなさい、と強く言うと、まるで母親に叱られる少年のように大人しく下半身を脱がされるが、それでもその気を起こさないので呆れて廊下に寝てしまった。又ある時は、仲間に(こいつと寝たら金をやる)とそそのかされた女が、いつの間にか隣に添い寝している。が、松陰は馬鹿丁寧に、礼を失するのはわかっているが、自分の信念からあなたとやってしまうわけにはいかない、と断り、これ以上近寄れば刺す、と脅して童貞を守るのだ。こいつは到底英雄の器じゃないな、と仲間にバカにされても。
 さて今後の「世に棲む日日」最大の見所は、ズバリ吉田松陰先生がその短い生涯で童貞を守り切れるか、どうかだな。超過激思想の松陰だから、間違っても女とヤッタりしないと予想するが、どうだろうか?


司馬遼太郎レビュー一覧